管理番号 | 新品 :39173167 | 発売日 | 2024/11/27 | 定価 | 33,000円 | 型番 | 39173167 | ||
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【真作保証】モーリス・ユトリロ「テルトル・ホテル(モンマルトル・ベキュより)」リトグラフ/240部限定商品説明ユトリロとパリが最も輝いていた1910年代を愛惜を込めて描いた豪華なリトグラフ集「モンマルトル・ベキュ」は、フランシス・カルコの著作「過ぎし日のモンマルトル」のテキストとユトリロによる22点のリトグラフがおさめられています。
カルコは詩や小説のほか、自身が愛した作家や画家の伝記を書いており、この作品でもユトリロの生活、生き方を追いながら鋭くユトリロの人間性を追求しています。
ユトリロが生涯を過ごし、愛したモンマルトルの街並みを、情感豊かに描いたもので、彼やその芸術家の仲間達が通った道、店などが描かれ、その当時のモンマルトルの情景が想い起こされます。
1947年に制作された、貴重なユトリロ生前の版画作品です。
額寸:39×46.5(タテ×ヨコ)
マット内寸:15.5/20(タテ×ヨコ)
240部限定
1947年出版
箱・黄袋あり。
作品にやや退色があります。お写真にてご確認ください。
<作家略歴>
1883年
明治16年
12月26日、パリ・モンマルトルの丘の麓に位置するポトー街8番地にて、シュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれる。
1891年
明治24年
スペインの美術評論家ミゲル・ユトリロの養子となった。
1896年
明治29年
パリのロラン中学校に入学。10歳ごろより飲酒を覚え、飲酒癖がひどくなる。
1900年
明治33年
早くから異常な飲酒癖を示し、17歳で最初のアルコール中毒で入院するように なった。
1904年
明治37年
パリのサン=タンヌ精神病院に入院。退院後、それを治すために医師の助言と 母の説得で治療のため絵を描き始める。もともと画家的雰囲気に育った彼は優れた天性を発揮する。
1909年
明治42年
ほとんど独学で絵を学び、印象派的な時期を経過して、画壇からも孤立し、 哀愁に満ちたパリの街角など身近な風景画を数多く描いたが『白に時代』といわれるこのころの作品に秀作が多い。 サロン・ドートンヌに出品。
1913年
大正2年
最初の個展を開催、評判となる。
1914年
大正3年
モンマルトルの建物や風景を重厚なマチエールで描く独自の世界を築き上げ、この頃の絶頂期を迎える。
そして、精神病院への入退院を繰り返す。
1918年
大正7年
ユトリロはピックピュスの療養所から脱走して、モンパルナスのラ・グランショーミエル街の安レストランで、モジリアニと出会う。
1919年
大正8年
ルプートル画廊の個展が大成功を収める一方、アルコール中毒は治らず、何度 となく入退院をくりかえす。
1928年
昭和3年
レジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を授与される。
1935年
昭和10年
コレクターの未亡人、リュシー・ヴァロールと結婚し、晩年は裕福な生活を送りながら絵葉書をもとにパリの風景を描きつづけた。
1955年
昭和30年
11月5日、南仏ダックスにて死去。モンマルトルに埋葬される。
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